うちのにっきちょう

何処へ行く?


<<<<<<<<<<<< うちのにっきちょう >>>>>>>>>>>>
ようこそわーい(嬉しい顔)
・・・
あなたにとって、なにか閃く処があれば幸いです

000000000

FYYの栞(しおり):カテゴリの記事一覧です。

2019年11月29日

栞1

貴方は是まで
精神世界の探求を試みた事はありますか。

何か信仰をお持ちですか。

この書き出しを見ただけでスルーしそうな貴方は、
何処かで辛酸を舐(な)めたか
どっぷり浸かっているか

でしょうか?


信仰とまでは言い難いが、
時には、すがりたくなる事は誰しもが
持ち合わせて居る感情ではないでしょうか。

その、崇(あが)める対象が
その行為が命に対して前向きならば、尊ばれて良いでしょうし、

誰からも束縛されては、いけないし、
非難されてはならないでしょう。


その神々のメッセージは命に対して
我々に対して
共通の本質を告げようとしているかも知れません。

否、そうである筈(はず)です。


気を付けなければ、ならないのは
神あるいは神託などを説明する立場の人物が
信用できるのか?
と言うこと。

善良では無い神官や僧侶も居るということを
思考の引き出しの何処かに
入れて置いた方がいいと思うのです。

気付いたら
結果として殺人を
奨励する形を採(と)っていた、
なんてシャレにならない。


何が善良(何に対して?)で
何が、そうでないかを
本人(神官僧侶たち)が理解していない
事もあるでしょうし。

何?
お前がその事を検証して、ここに表明するのかい。
なんて
説明を求められそうですね(^^;)

そんなことは説明(証明?)出来ません。

そんなことをしたら私が、教祖に成上がる話し
に成ってしまう(笑)

さもなければ
否定しまくって無難な話しに落ち着く
ことぐらいは目に見えてる。


こう云った話を書いていると限(きり)が無いので、
止めますが、一つ言えることは・・・




< つづく >



posted at 00:00
カテゴリー:FYYの栞(しおり)
エントリー:栞1
2019年12月06日

栞2

何か信念を持って信じる、その事が、
全てを表現している比類無き
ものだ!

と、思えたとしても

同じ様に納得した人が
他にも居ると云う事を冷静に
考えてみるべきだ。

つまり
比類している。

しかも
比類として括(くく)る範疇(はんちゅう)は、
貴方が絶対だ!と
思い込んだ信念と正反対の内容も
含むことになる。

つまりは、
誰しも考える仕組みの部分で同じ。
と云う範疇だ。

貴方が「絶対だ」と考える様に
他の人も他の信念を「絶対だ」と
信じている。

信念と信念がぶつかれば結果は
歴史が証明してる。


ただ、分析するだけ。

そうででないと
話しが続けられないから。


ここで
疑問を持ちませんか?


神や信仰の対象は、
これまで我々に対して
人類に対して
何を明らかに、あるいは
何を示して来たのでしょうか。


否、神託を受けたと称する者達が我々に
何を伝えて来たのか。

本当に正しく伝えられて来たのなら
我々は遥か昔にもっと豊かな暮らしを
手に入れて居たのかも知れません。

しかし
まったく違っていたのなら
もっとひどい事に成っていたのかも
知れません。

否、私が正しいから、
私に従えと言う話しではありません(笑)


ここで、おことわりして措きます、
これは腹が膨れる話しではないです、
そう云う次元の話ではないです。


金持ち貧乏、老若男女、
身分の尊卑(?)、
病や怪我で辛い人、
自分が不幸だと思っている人、
自分以外の人に気兼ねのある人
幸せな人、
等々・・・
つまり、貴方が人間であれば、
諸々の喜怒哀楽以前に、
関わりがある話とでも
申しましょうか。



<つづく>



posted at 00:00
Comment(0)
カテゴリー:FYYの栞(しおり)
エントリー:栞2
2019年12月13日

栞3

さりとて
原始的本能に経ち返って無垢(むく)のままが良いのか
と言えばそうではないでしょう。

今、
ここで何を語ろうとしているのか
察しが付く人は、かなり・・・ですね。

人は生まれて来た侭(まま)で
教育を受けなければ単なる動物と同じですよね。

人間は
最初に言葉と言うコミュニケーション
の利便性に気付けるほどに
脳が発達しています。

なんで
生まれて来たんでしょうかね。

そもそも始めから腹を満たす事が目的なら、生まれて来ますか?


”目的が在る”のならですが、

否、目的など無いとしてもです。


ただ、自動的にそうなってる。
と、割り切りますか、

だから
殆(ほとん)どの人はこんな事さほど考えないから
略(ほぼ)自動的ですか。

この自動的なものってなに?

究極、
本当に貴方は自分の本質というものを
どんな風に捉(とら)えていますか?


概(おおむ)ね概観してみるに
”私”と捉えている処のモノが、つまり、
命のしくみを考える事の出来る、この”私”は、
言語あるいは言葉、以前の感覚的な部分ですよね。


その辺りの領域と言うか
リアリティーの部分。

部分と言っても部位(ぶい)個所など
特定できるポジションは無い。


凡そ思い当るものは
言語言葉に置き換えられねば表現できない現実のなかで
いかに探求するかと言うこと。

しかし
そんなに深く大きく緻密に
あるいは一生懸命
自我を深層まで
求めずとも・・・

本質は
在りのまま天然として
存在している訳で。





< つづく >



posted at 00:00
カテゴリー:FYYの栞(しおり)
エントリー:栞3

” うちのにっきちょう ”へご訪問下さりありがとうございますわーい(嬉しい顔)
本文でも触れてます様に体調不良ですが何とか
ガンバッテますぅ。よろしくっ 喫茶店 うち

0000000
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『週刊ダイヤモンド』最新号購入&定期購読【最大45%おトク!!】
0000000
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
広告なしのブログ作るなら【JUGEM PLUS
0000000
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

0000000