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2028年03月03日

主体の自覚(ブレイクα

主体の自覚


意識 という言葉の意味を どう捉えるかは
それぞれの専門の属性によって様々あるだろう

ところで一般的に 意識が遠のく 物事を意識する
意識的に行動する などは 

高度に思考する行為とは異なる事にお気づきだろうか

これは習慣的にすり込まれた記憶の一環だろうか
学習されたものだろうか

生まれたばかりの新生児に意識が在るか無いかを
問うことは 生きているかを確かめる事でもある様に

犬や猫に対しても係る表現の意識と言う捉え方は
違和感がないだろう

意識を どのレベルで捉えるべきか しっかりと
定義できていれば 物事との向き合い方に

これまでとは異なった認識を 見つける事が
出来るかも知れない

それはリアルに自らの基礎を 概念ではない理解に
置くことの発見かもしれない

物事を意識する とは
物事を意識している自分がそこに居る訳だが
この自分も 実は意識である

これは 前々回( 好奇心 2 (ブレイクα ) で
森羅万象に措いて三面鏡の中に映り込む景観が
際限のない像を結ぶ光の性質に類似しないか

と指摘して 私(自分) とは何者かを問うたものだ

物事を意識する私を意識する私 というルーチンが
展開する

意識をいくら客観視しようとしても出来ないのだ

何故だ、それは私が意識そのものだからだ
我々は客体ではなく主体そのもの なのだ

この主体に気付いた私は人間において可能になった
立ち位置を万象の比較の基準にできることを
理解するべきだ

意識は 何か主体としての自分から派生する
感覚と同義だと分類することによって

と謂うより 是まで主体である現実に気付かぬまま
生活に追われてきた事が実情だろう

意識と謂うレベルが齎す事象の深度は
生物の成り立ちと発展の基礎がここに(意識に)
帰着する

更に見渡せば 我々が理解できる限界が
依存している

何かヒントはないものだろうか


つづく  (^^/
posted at 07:26
カテゴリー:ブレイクα
エントリー:主体の自覚(ブレイクα

” うちのにっきちょう ”へご訪問下さりありがとうございますわーい(嬉しい顔)
本文でも触れてます様に体調不良ですが何とか
ガンバッテますぅ。よろしくっ 喫茶店 うち

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